食満のキャラがつかめない
開いた裏口から白い鳥が青空に飛び立つのが見えた。
お盆にお茶とお菓子を乗せて
はそれを口をあけて見送った。
夏も終わる。少しずつきらめきを失う太陽のもとを、わずかな寂しさを感じながら学園長室へと向かった。
「学園長先生、お茶とお菓子です」
「ん、すまんな。そこへ置いておいてくれ」
「はい」
言われたとおり、部屋の入口の脇にお茶を置き、部屋を出る。
「(食堂に戻る道、近道をしよう)」
まだ夕飯の支度も終わってないし、時間は無駄にできない。
夏の終わりというのは、なんだか心を急かされる気がする。
やらなくてはならないことを、夏のうちに、すべて終わらせなければならないような気持ちだ。
空になったお盆を小脇に抱えて、少し早足で歩く。
ちょうど6年生の宿舎の角に来た時、誰かの話し声が聞こえた。
普段なら気にせず通り過ぎるところだが、その声がかわいらしい女の子の声であることと、それに相槌を打つのが、
が片思いをしている6年生の食満留三郎の声であることがすぐにわかって、思わず宿舎の影に隠れて立ち止まってしまった。
「…それで、…食満先輩が、好き、なんです」
「…ああ」
「だ、だから…よければ、付き合って…」
は、自分はいったい何をしているのだろうと思いながら、その会話を聞いていた。
声はどこか遠くから聞こえるようで、心臓が飛び出しそうなほどに脈を打つのがわかった。
自分以外に彼に心を寄せる人がいる。
そして、自分ができなかったこと、その心を伝えることを、彼女はやったのだ。
彼はなんというだろう。自分も好きだと応えるだろうか。
もしそうなったら、
の心のうちのこの彼への気持はどこへいくのだろうか。
「(食満さんが…他の誰かを好きになる)」
心がずきずきと痛んだ。そんなこと、なにがあったって認めたくないし、認められないだろうと思った。
お盆をぎゅっと抱きしめうつむく
を置いて、食満は少し唸って、口を開いた。
「…俺は忍者だ、それはできない」
彼に告白した少女も、陰でうつむく
も、その言葉を聞いて息をのんだ。
「それに、俺はおまえのこともよくしらない。だから、すまない」
少女が小さく、はい、と呟いて走り去る足音も、
の耳には聞こえなかった。
―――俺は忍者だ。
「(誰でもないんだ…誰のものでも、誰のものにも、)」
彼は誰も好きにならない。誰かの気持ちにも、応えない。
「(
はばかだ…
はばかだ、おおばかものだ)」
大きな瞳を涙に潤ませ、
は宿舎の壁に背をつきそのままずり落ち、しゃがみこんだ。
物音がたっても、どうでもよかった。この気持ちの行き着く場所はないのだ。
それがわかると、もうとても立っていられなかった。
「誰か、いるのか?」
食満がこちらに歩いてくる。
顔を見れば泣いてしまうのはわかっていたので、膝に顔をうずめたまま、返事はしなかった。
「…」
聞いていたのか、という響きで、名前を呼ばれる。
「…ごめんなさい」
「いや、気付かなかった俺も悪い」
彼の声が、もろくなったの心を揺らす。
ぐらぐらと、そのたびに涙がこぼれおちそうになり、深く息を吸って、堪えた。
「…泣いているのか」
「いいえ」
「…泣きそうなのか」
「…いいえ」
は嘘をつくことにした。今も、これからも、彼のことを思っているなんて、そんなのは嘘だと、そう思うことにした。
「嘘が下手だな」
「
も…そう思います」
「聞いていたのなら…その、言うべきことがあるんだが」
「聞きたくないです、わかってますから」
「ちがう、そうじゃなくて…」
少しあわてた様子の食満に、
は思わず顔をあげた。
涙のたまった眦に食満は驚き、あわててあーだこーだと意味のわからないことを喋りだす。
「
は泣くところを見られたくないです。けれど今は立てそうにないんです」
「そ、それは」
「だから、食満さんは、もし少しでも
を哀れに思うのなら、どうか
を一人にしてください」
は、このときだけは、どうか世界中に自分ひとりで、何もわずらわしいこともなしに大声で泣いてしまいたいと思った。
必死に涙を堪える
を見て、食満は何かを振り払うように頭をふり、両手で力強くの肩を掴んだ。
「…好きだ!」
は驚いて、口をあけたままぽかんと食満の顔を見つめた。
涙で潤んだ視界に、彼の顔と、その向こうに、青空、天まで届きそうなほど彼方を目指して飛ぶ白い鳥が見えた。
「だ、って…さっき…」
口をついて出たのは、非難の言葉だった。
「断ったじゃないですか…忍者だからって、だから
、嘘つきになろうと思って」
「だか、ら…それは…」
一呼吸おいて、食満はより一層強くの肩を掴み、まっすぐに目を見ていった。
「…俺は、忍者だ。けれどまだ、たまごだ。忍者のたまご」
頬がだんだんと染まるのがわかる。彼の頬も同じに染まっているからだ。
のどがひくひくと動いて、それがやがて嗚咽になり、眼尻から滴が落ちる。
「だから…たまご、だから」
それだけ言うと、食満はしゃがみこんだままの
を抱きしめた。
は抱きしめられたまま、しばらく泣いた。
青かった空がやがて燃えるような紫に染まり、肌寒い風を運んでくるまで、ずっと彼の腕の中で泣いた。
「
は嘘が下手だから、」
ようやく、二人は体を離してお互いを見つめた。
「嘘つきにはむいていなくて、だから、食満さん」
「わかっている」
そっと涙の跡を拭う指先は、ごつごつと硬く、しかし優しく温かい。
「もう、おまえに嘘はつかせない」
頬を滑る彼の手に、自分の手を重ねる。
食堂の仕事のことだとか、彼の授業のことだとか、考えなくてはいけないことはたくさんあったけれど、今はそんなことどうでもよかった。
後でどれだけ怒られてもかまわない。
彼への気持ちに嘘をつかなくてもいいのなら、それだけで十分幸せだった。
嘘つき少年少女